新しいワタシ こんにちは!

 17, 2013 13:49





プロとしてお歌を唄うヒトになって、
早いもので、かれこれ20年になります。

大抵のVocalの方は
『歌手になりたいっ!』とか、Jazz希望の方なら
『Jazz Singerになりたい!』
みたいな強い意思のもと、その世界に入るのでしょうが、
ワタクシの場合、単に歌好きってだけで、
プロになりたい!とか、Jazzを唄いたいとか、
じぇんじぇん何にも考えることなくJazz業界に入りました。

そもそもは、ある事がキッカケで、
唄うどころか喋る声も出ず、
毎日毎日ノドが焼けるように痛い日々が
約1年ほど続いたある日、
『病院の先生を代えたら病気が治った
ってよく言うから、歌の先生を代えてみたら?
ママが知ってるヒトは、シャイニーの村上さんか、
島田歌穂チャンのお父さんか、
マーサさんくらいかなぁ~…』
という母の一言がキッカケで、
とりあえず言われた順番に見学だけ行ってみることに…。

まずは、後にワタクシも入るジャズコーラスグループ
The Shiny Stockingsのリーダーである
村上京子&小林洋ご夫妻(小林桂クンのご両親ね)の所へ…。

すると、レッスンをする村上京子の周りに後光が差していて、
直感を信じるワタクシとしては、
他を見ることもなく、そしてJazzを唄うなんてことも全く考えず、
とにかく直感だけで即入会を決めたのでした。

あの時点で、他の方も見学をしていたら…
他の所に入会していたら…
それはそれで、全く違った人生が始まっていたのでしょうね(^_^;)

まぁ何はともあれ、
そこからワタクシのJazz人生が始まったってワケです。

入会して1~2ヶ月ほど経った頃、
『シャイニーの10周年コンサートのサブタイトルに、
“ビリー吉田さん(←ワタクシの父)を偲んで”
ってことにしたから、1曲一緒に唄わない?』
と京子センセーから誘われ、
まだその意味も深く考えられなかった20歳前のワタクシは、
やっぱりココでも“唄えるなら楽しそう”
ってだけでソレを受け、今にして思うと恐ろしいのですが、
何と青山円形劇場でシャイニーに混じって
唄ってしまったという、、、

ソレがキッカケで、シャイニーのサブメンバーに誘われ、
この時点でもまだプロになることの意味も考えず、
“唄えてお金まで貰えちゃうなんてラッキー”
くらいな気持ちで入ってしまいました(笑)

シャイニーに入って半年くらい経った頃、
『そろそろソロ活動したら?』
と京子センセーに言われ、
やっぱりココでもラッキー!くらいな気持ちでLiveをスタート。

そんな感じだったから、初めてのソロLiveは
何処で誰と共演したのか不確かで、
確か横浜の何処かだったんだけど、
未だに何処だったのか思い出せないっていう、、、

その後、2回目のLiveの話が直ぐ来て、
それが今までで1番出演回数の多い、
ワタクシのLiveではお馴染みの銀座のシグナスでした。

ここまでご覧いただいた方々の中には、
いつになったらプロ意識が芽生えるんだ?
とお思いでしょう(笑)

コレがビックリ!

このあと数年間は、じぇ~んじぇん芽生えず、
3~4年経った頃、コトの重大さにようやく気付き(遅っ!)
そうなると急に怖くなったり、
そんな気持ちでステージに立つことが失礼に思えて、
数年間ソロLiveはお休みしてしまいました。

その間、改めて色々なことを勉強したのですが、
その後に再開したソロLiveでは、
やはり気持ちが全く違う自分がいました。

どうしたらイイ音が出せるのか?
如何にしてバンドとスイングさせられるのか?
どうしたらお客さんを楽しませられるのか?
ワタクシにしか出来ないことは何なのか?

以来、今日に至るまで、そんなことを考えながら唄っています。

今はLiveはお休みにしているけれど、
前回のお休み同様に、
ここ数年は色々なことを勉強しています。

また再開した時には、
きっとまた違った気持ちや意識が芽生えるんだろうなぁ…

だからってワケじゃないけど、
昨夜突然、チョット呑んでみたくなり、
舐める程度に赤ワインを呑んでみたよ。

数年前では有り得ないことだね。

音楽だけではなく、自分自身も細胞分裂やら脱皮を繰り返し、
新たな自分に進化していってるような…

今そんなことを感じている有希です。














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